和歌山県新宮市
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トップ観光情報観光スポット【文学散歩】【U】 西村記念館
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2010年9月1日 更新
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【U】 西村記念館
西村伊作 (明 17 〜 昭 39、1884 〜 1963)
新宮町生まれ。 父は (プロテスタント系の) 日本キリスト教会新宮教会設立の中心人物 ・ 大石余平。 3歳のとき、 母 ・ 冬の実家で下北山村上桑原の大山林主 ・ 西村家の養子となる。 7歳のとき、 濃尾大地震で実父、 実母ともに名古屋で死亡。 伊作は下北山の桑原尋常小学校、 新宮高等小学校、 広島の私立明道中学校に学んだ。 叔父の医師 ・ 大石誠之助の影響を受け、 その反戦活動 (日露戦争反対のビラ配り) や生活改善啓蒙活動 (洋食店 ・ 太平洋食堂の運営) に協力する傍ら、 シンガポール旅行 (明 38、明 44) や欧米巡遊 (明 41) を行った。
絵画や陶芸制作を愛好、 また近代的合理主義精神を重んずる伊作は、 その後も約 20年間、 郷里に留まりつつ全国的に活動、 日本の住宅建築の改良や中等教育の改革に尽力、 大きな功績を残した。 昭和 2年 (1927年)、 伊作 43歳のとき東京に一家転住した。
伊作と日本の住宅改良
伊作は、 (接客本位の日本の伝統的な住宅とは異なった) 家庭生活重視の居間式住宅 (わが国では太平洋戦争後になって初めて広く一般化した住宅) バンガローを日本で最初に新宮に建築、 その普及に力を尽くした。
伊作は明治 39年 (1906年)、 当時アメリカで大流行していたバンガロー (郊外生活のための簡易な居間式住宅。 日本で言うバンガローとは異なり、 相当立派なものという) を日和山山頂に建築。 さらに大勢の家族が平等な立場で生活できる (居間式住宅としての) 自邸を設計、 大正 3年 (1914年)末に伊佐田の地に建築した。 これが現在の西村記念館で、 アメリカの住宅様式や日本の民家の様式を採り入れた、 彼としては初めての本格的な洋風住宅であった。
伊作はそうした住宅建築の経験を生かし、 大正 8年 (1919年) 著書 『楽しき住家』 を出版。 これが大きな反響を呼んで新しい住宅の提唱者としての伊作の名が全国に鳴り響くようになり、 各地から住宅設計の依頼が相次いで、 伊作も神戸と東京に建築事務所を開設して対応。 伊作の建築作品は、大正期から昭和初期を中心におよそ 100例に及んだと考えられ、 新宮 ・ 阪神間や東京、 倉敷とその周辺に多く、 住宅のほか、 キリスト教会や保育施設なども設計している。
彼が推奨し、 大正デモクラシーの波に乗って広がりを見せ始めていた居間式住宅も、 日本が戦時体制に入る中で下火になり、 その本格的な普及は、 昭和 20年 (1945年) の敗戦以後まで待たねばならなかった。
伊作は、 現代日本における洋風住宅建築の基本形式の開拓者であり、 その普及に先駆的役割を果たした人であった。
(同じ伊佐田の岡邸は伊作の右腕であった大嶋虎之助の設計、 旧チャップマン邸は伊作の設計になる。 とくに大正 15年竣工の旧チャプマン邸は、 内部の原型保存の状態がよく、 貴重な遺産だという。)
西村記念館
新宮市伊佐田の西村記念館
旧チャップマン邸
西村記念館前から東北方を見る。写真・左側(グレーの屋根)が 岡邸、右側(グリーンの屋根)が旧チャップマン邸(沖浦邸)
伊作と教育改革
家族それぞれが楽しく暮らす住宅建築を目指した伊作は、 自分の子ども達の教育についてもよく考え、 国家主義的、 教師中心的な日本の公立中学や高等女学校等ではなく、 自由主義的で生徒の自主的な学習を推進するような学校で学ばせたいと考えた。 そこで与謝野寛 ・ 晶子夫妻らに相談、 結局自ら私財を投じて (文部省の認可を得ない代わりに高等女学校令などに拘束されない) 新しい学校を設立、 運営することになった。
大正 10年 (1921) 年、 東京神田駿河台に 「文化学院」 創立。 4年制の中学部には女子だけが入学したが、 大正 14年から 2か年間は男子も募集して男女共学になり (これは日本の中等学校で初めての試みだった)、 同 14年、 4年制の大学部 (文学部、 美術部) も設置した (村井正誠はその大学美術部 1期生だった)。
文化学院の教育は、 男女平等の精神に基づいたもので、 高等女学校のように裁縫の時間などは設けず、 また各生徒の個性を尊重、 自律的な学習を重視し、 互いに競争させたりしないものであった。 文化学院は (やはり大正 10年創立の) 自由学園と並んで、 徹底した自由主義的な学校として存在しつづけ (伊作が不敬罪の疑いで拘禁され、 学院が強制閉鎖させられる昭和 18年以後の一時期を除き)、 児童文学を中心に様々な分野に数多くの優れた人材を送り出している。
なお、 教師陣に与謝野寛 ・ 晶子夫妻や石井柏亭、 山田耕作、 菊地寛、 佐藤春夫、 阿部知二 ら一流の文学者、 芸術家を多く迎えたのも文化学院の特色であった。
大正10年、創立当時の文化学院(西村伊作・画)
本文終わり
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