ヤタガラス 研究資料

熊野の歴史

新宮水野家歴代城主

丹鶴城公園 1619(元和05)年、御三家紀州藩初代徳川頼宣のお守り役として、新宮領35,000石に封じられた水野重仲が祖。
以降、10代にわたり紀州藩江戸詰・城持ちの付け家老として、新宮城を中心に政治を行なった。

氏名 家系 逝去 襲封 官位 法名
水野 重仲 水野 忠分 3子 1621(元和07)/11/12 1619(元和05)/07/29 従五位下
出雲守
全龍院殿日山
常春大居士
2 水野 重良 水野 重仲 長子 1668(寛文08)/10/28 1623(元和09)/06 従五位下
淡路守
本廣院殿眞休常
榮日輔大居士
3 水野 重上(たか) 水野 重良 2子 1707(宝永04)/03/01 1658(万治元)/09/25 従五位下
土佐守
知徳院殿常感
日應大居士
4 水野 重期(とき) 水野 重上 養子
新庄重恒3子
1740(元文05)/07/02 1707(宝永04)/04/07 従五位下
淡路守
知泉院殿靜山
日體大居士
5 水野 忠昭 水野 重期 養子
水野 重短 3子
1749(寛延02)/10/25 1714(正徳04)/07/18 従五位下
対馬守
本徳院殿良山
日種大居士
6 水野 忠興(おき) 水野 忠昭 2子 1763(宝暦13)/06/28 1749(寛延02)/11/19 従五位下
筑後守
本立院殿義道
日成大居士
7 水野 忠奇(より) 水野 忠興 養子
水野守鑑2子
1822(文政05)/04/25 1763(宝暦13)/08/06 従五位下
飛騨守
法心院殿永持
日顕大居士
8 水野 忠啓(あき) 水野 範明 長子
水野 忠奇 嫡孫
1848(嘉永元) 1822(文政05)/06/05 従五位下
対馬守
徳洽院殿日新
至誠大居士
9 水野 忠央(なか) 水野 忠啓 長子 1865(慶応元)/02/25 1835(天保06)/08/16 従五位下
土佐守
鶏峰院殿篤勤
日精大居士
10 水野 忠幹 水野 忠央 4子 1902(明治35)/04/30 1860(万延元)/06/04 従五位下
大炊頭
眞徳院殿忠幹
日現大居士

『熊野歴史手帳』(みくまの総合資料館研究委員会 1994年)より