世界遺産・国指定の史跡
熊野古道(熊野参詣道) 中辺路 高野坂 |
新宮市の広角から三輪崎まで御手洗海岸沿いの50mほどの高台を越える熊野古道です。 距離はおよそ1.5kmで、美しい海岸の景観が見える他、石畳が残り、念仏供養の石碑や石の地蔵・山伏を支配した聖護院宮の休憩所跡などがあり、自然と歴史が体感できます。 |
御手洗海岸 |
王子ヶ浜の南に突き出た岩山の磯です。 「御手洗」とは神武天皇が手を洗ったことからや3つの盥(たらい)のような岩のくぼみがあったところから名づけられたともいわれています。 しかし、熊野詣の人々がお参りのため、塩水で身を清めた禊(みそぎ)場所と考えたほうがよいようです。 |
御手洗の念仏碑 |
王子ヶ浜の美しい海岸が見渡せる所にある三体の石碑です。 三体とも江戸時代の中頃に建てられたもので、真ん中が地蔵、左右の二体は阿弥陀を称えた「南無阿弥陀仏」と彫られています。 いずれも三重や大阪・滋賀出身の人の念仏記念に建てられたものです。 |
孫八地蔵 |
高野坂の中ほどの山側にある石の地蔵です。 文字が彫られていないため由来は分かりませんが、江戸時代初期に建てられたようです。 |
五輪塔 |
孫八地蔵から海側に延びる細い道を100mほど行った所(寿門山(じゅもんさん))にある石組みの壇を築いた五輪塔です。 1628(寛永05)年に建てられた「心鏡房海宝大徳」と名乗った僧侶のものです。 |
おな神の森 |
孫八地蔵から100mほど行った左手にある金光稲荷社の大きな森です。 江戸時代からこの森を「おな神の森」と呼ぶようになったようです。 見晴らしが大変よいからでしょう。 |
聖護院宮の休憩所跡 |
おな神の森の西側にある本山派山伏(天台宗系)を率いた京都の聖護院宮が、大峯山から熊野三山を巡った時に休憩した場所です。 今は石垣が残っている程度で跡地もはっきりしません。 |
石畳 |
おな神の森からの下り坂は、古道らしい石畳がよく残っています。 草が生えたり土が流れていかないようにした、昔の舗装道路です。 山水による古道の流出を防ぐため、斜めに溝を設けた「洗いごし」と呼ばれる昔の排水路もいくつか残っています。 |
新道道標 |
塩屋川沿いを100mほど行った所にある石のローラーを利用した道標です。 1884(明治17)年に高野坂に代わって現在の国道42号に沿った新道ができた時の道標で、「左新街道」と刻まれています。 明治時代にはこの付近が古道と新道の交差点でした。 |
熊野古道(熊野参詣道) 中辺路(共有)