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2010年9月1日 更新 印刷用ページ印刷用ページを開く
【Ⅰ】 駅前 ・ 鳩ぽっぽ記念碑とモニュメント~東くめ及び東基吉

鳩ぽっぽモニュメント

新宮市出身の彫金家で東京芸大教授の尾崎進が制作。尾崎は作家・中上健次と県立新宮高校で同級生だった。

東くめ (明 10 ~ 昭和 44、1877 ~ 1969)

明治 33年、わが国で初めて口語体によって童謡を作詞した人。作曲家・滝廉太郎と結んで「鳩ぽっぽ」、「お正月」、「水あそび」、「雪やこんこん」などを作った。
昭和 33年、NHKテレビの「私の秘密」に出演、その業績が全国に広く知られるようになった。その結果、(昭 34)東京芸大 80周年記念式で音楽教育功労者表彰を受け、(昭 37)新宮市名誉市民となり、池田市文化功労賞も受賞した。
新宮藩の家老・由比家の長女に生まれ、新宮の第一尋常小学校(いまの丹鶴小)から大阪のウィルミナ女学校、さらに東京音楽学校(いまの東京芸大)に学んだ。くめの2級後輩に滝廉太郎がいた。明治 29年、 19歳で卒業、以後 8年間、東京府立高等女学校(現・都立白鳳高校)の教員をつとめた。 22歳のとき、東基吉と結婚。
夫・基吉から”子どもにわかるやさしい歌、そして子どもが喜んで歌う歌”を作るように強く薦められたくめは滝に相談。滝も賛同して、日本最初の口語体童謡がくめ・滝コンビで作られ、明治 34年、それらを収めた 『幼稚園唱歌』 が出版された。

東くめ自筆の鳩ぽっぽ」歌碑

新宮駅前広場にある東くめ自筆の「鳩ぽっぽ」歌碑

東基吉 (明 5 ~ 昭 33、 1872 ~ 1958)

明治 30年代、わが国黎明期の幼児教育において、児童の主体的興味を尊重する保育を実践し、またわが国最初の体系的保育論の書『幼稚園教育法』を著した人。この書物は現代の幼児教育においても十分通用する内容のものといわれる。
新宮の須川家に生まれたが、幼くして両親と死別、東家の養子となった。小学校高等科 2年(いまの小学校 6年)のときから苦学して英語を学んだ。 15歳からしばらく小学校代用教員をした後、和歌山師範、東京高等師範に進んだ。卒業後まもなく明治 33年、東京女子師範学校(現・お茶の水女子大)助教授兼附属幼稚園批評係になった。日本の幼児教育のメッカともいうべきこの附属幼稚園のリーダーとなった基吉は、これまでの欧米直輸入的な保育手法を、(豊かな語学力を生かして数多くの洋書から吸収した自らの新知識にも基づいて)自由主義的、児童中心的な方向に変えていった(ただし、こうした幼児教育の方向が花開くのは大正中期で、およそ 8年間に及ぶ基吉の努力は先駆的なものにとどまった)。妻・くめに口語体童謡の創作を薦めたのもそうした教育の推進の立場からであった。
基吉は明治 41年から宮崎、栃木、三重の各師範学校長を歴任、最後に大正 6 ~ 14年、大阪の池田師範学校長を勤めた(以後、池田に住居を定めた)が、そのころには幼児教育からすっかり離れてしまっていた。

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