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2010年9月17日 更新 印刷用ページ印刷用ページを開く
熊野川町史 史料編1について(近世~明治22年)

御用留」を中心に、史料109点を所収。
幕末から明治22年までの、内外の緊迫した様子が、生々しく読み取れます。

本文1091ページの内
山家小頭」「庄屋元」「大庄屋」御用留と「県庁申稟・進達」に約500ページを使っています。

内容は。。。

  1. 紀伊半島沿岸に異国船がたびたび往来し、山家足軽がそれに対する警護にあたり、天誅組に対する防衛網が張り巡らされ、村人も動員された。
    また、山家足軽が戊辰戦争に芸州表まで出陣を命じられたり、 家に落ち着く間もなかった。
  2. 明治政府が行った版籍奉還・廃藩置県の政策は、当地方にも色々な問題を残した。
    ・知藩事水野忠幹(ただもと)の罷免に対して領内17組の大庄屋が連名で訴状を出した。
    ・熊野川と支流の北山川を境に和歌山県と度会県に分け、いわゆる飛地「北山村」と「熊野川町玉置口」を作り出してしまったが、 これなど地域の声をまったく無視して強引にその政策を推し進めた、など。
  3. 江戸時代に形成されていた郡~組~村の行政組織は明治期になっても機能しており、明治政府の施策を村々末端まで浸透させる重要な役割を果たした。
 
以上のように、これまであまり明らかにされていない幕末~明治初期の研究史料を,、提供できました。
また、我が熊野川町の歴史を子々孫々まで伝える、大切な文化遺産として、ご購入をお勧めいたします。

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