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2010年9月1日 更新 印刷用ページ印刷用ページを開く
【Ⅶ】 佐藤春夫記念館

佐藤春夫

佐藤春夫は大正時代から昭和30年代にかけて活躍した日本の代表的作家である。
明治25年(1892)和歌山県東牟婁郡新宮町(現新宮市)に生まれ、新宮中学校を卒業し上京、慶應義塾大学予科に入学、後に中退。雑誌 「三田文学」 「スバル」 などに詩歌を発表、また 「西班牙犬の家」 を発表してその才能が注目されつつあったが、大正7年(1918年)、谷崎潤一郎の推挙により文壇に登場、以来 『田園の憂鬱』 『お絹とその兄弟』 『美しい町』 『殉情詩集』 などの作品を次々に発表してたちまち新進流行作家となり、芥川龍之介と並んで時代を担う二大作家と目される。
春夫は短歌、俳句に始まり詩、戯曲、翻訳、評論、童話、随筆等あらゆるジャンルにわたり名作を残す。
昭和23年日本芸術院会員になり、35年には文化勲章を受章。応接間でラジオ番組録音中、心筋梗塞で急逝したのは昭和39年(1964年)で、享年72歳。最後の言葉が 「幸いに-」 だったのも印象的である。

佐藤春夫の写真

佐藤春夫

佐藤春夫記念館

当館は、東京文京区にあった春夫の邸宅を移築復元、文学館としたもので、平成元年(1989年)11月に開館。
明治43年(1910年)、18歳で上京、以来4~5回転宅していた春夫が関口町に初めて自宅を建てたのが、昭和2年(1927年)のとき。以後72歳で亡くなるまでの30数年間、ここに住まい、活動をする(疎開等除く)。
アーチ型窓で飾られた西欧風の瀟洒な建物で、春夫の応接間には、高田博厚制作の重厚な春夫のブロンズ像を置き、家具備品はほとんど当時のまま。マントルピースの前に畳が3畳、井桁の木枠の中に敷かれてあり、訪問客はここに招じられたといわれる。廊下には似顔絵が掛かり、テープからは春夫の肉声で 「ためいき」 「秋刀魚の歌」 「少年の日」 「望郷五月歌」 の詩の朗読が流れ、いかにも臨場感がある。
2階では写真、書画、書簡等の他に文化勲章、結婚挨拶状、自画像、パレットなどが見られる。八角塔は2畳程の小さな書斎で、京都の陶芸家・河井寛次郎揮毫の 「一牀書屋」 の額を掛かげ、夫妻の愛用品を並べている。春夫の歌軸を床間に掛けている8畳の和室と、 『わんぱく時代』 の背景を中心とした、少年時代の資料を展示している小部屋がある。
これまで常設以外に春夫関係者の特別展が随時開かれている。

佐藤春夫記念館の写真

佐藤春夫記念館

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