熊野速玉大社【世界遺産 霊場熊野三山】
熊野三山のうちの一社「熊野速玉大社」は、熊野川の河口に鎮座しています。主祭神は熊野速玉大神で、水の勢いを神格化したものと考えられています。元宮の神倉山から現在の地へ社が移されたので、新宮と呼んだともいわれています。境内の梛の木(葉)は、昔から神の木として熊野詣の記念品となりました。
権現山は、神の降臨する神体山で熊野速玉大社の神が権(かり)に現れる山という意味です。権現山の南端の峰を神倉山と呼びます。ここには巨岩「ゴトビキ岩」を神体とし原始信仰を伝える神倉神社があります。
2月6日の夜行なわれる「御燈祭り(おとうまつり)」(国重要無形民俗文化財)は、白装束に身を包んだ2000人ほどの男子が、538段の石段を駆け下りる修験の火祭りとして有名です。
御旅所【世界遺産 霊場熊野三山】
10月15日と16日に行なわれる「熊野速玉祭」(国重要無形民俗文化財)で、熊野速玉大社の神霊が神馬や神輿に乗って渡御される聖なる場所です。
熊野川と御船島【世界遺産 熊野参詣道中辺路】
中辺路ルートで熊野三山を参詣する場合は、行き帰りとも熊野川の舟運を利用することが多く、「川の熊野古道」として位置づけられます。両岸に山が迫り、滝や奇岩が美しい峡谷は、昔から名所として知られ、様々な伝承が語られ代表的な「文化的景観」を伝えています。御船島は、速玉大社の神の「泊まる」川中島で、10月16日の御船祭の舞台としても有名です。
熊野川河口近くにある蓬莱山南側の麓に鎮座する古社で、祭神は「事解之男命」です。社殿背後の蓬莱山を神体とし、古くから熊野三山の神を祀り、平安時代から「阿須賀王子」とされ、熊野信仰の重要な王子社でした。 境内からは弥生~古墳時代の集落遺跡や祭祀遺物が発見されており、古代から蓬莱山に対する信仰があったと想像されます。
また、12~15世紀の多くの御正体(市立歴史民俗資料館で展示)が伝わっており、神道と仏教が融合した日本独特の宗教観を知ることができます。
「王子ヶ浜」に近い海辺にある王子社で、海神を祀る古社です。祭神は神武天皇の皇兄2人とされています。文明5年(1473)の『九十九王子記』に始めてその名が見え、海沿いの王子社として知られています。
新宮市で、熊野古道がよく残っているところは、広角から三輪崎に越える御手洗海岸沿いの高野坂です。距離は約1.5kmで、50mほどの高台を越える楽なコースで、海岸の景観が大変美しい古道です。
道沿いには石畳や石仏が残り、自然と歴史が体感できる手ごろな古道です。
「王子ヶ浜」の南に突き出た岩山の磯で、神武天皇が手を洗ったことから「御手洗」と呼ぶとの伝説があります。しかし、熊野詣の人々がお参りのため、塩水で身を清めた禊場所と考えたほうがよいようです。
高野坂から王子ヶ浜の美しい海岸が見渡せる所に三体の石碑が建っています。三体とも江戸時代の中頃に建てられたもので、いずれも三重や大阪、滋賀出身の人の念仏記念に建てられた石碑です。
高野坂の中ほどの山側にある石の地蔵で、「孫八地蔵」と呼ばれています。文字が彫られていませんので由来はわかりませんが、江戸時代初期に建てられたようです。
孫八地蔵から海側に延びる細い道を100mほど行った所(寿門山)に、五輪塔が建っています。寛文5年(1665)に建てられた僧侶のものです。
おな神の森からの下り坂は、古道らしい石畳がよく残っています。草が生えたり土が流れていかないようにした、昔の“舗装道路”です。
三輪崎新道の道標【市指定文化財】
塩屋川沿いを100mほど行くと、石のローラーを利用した道標があります。明治17年(1884)、高野坂に代わって今の国道42号に沿った新道ができた時の道しるべです。
尼将軍の供養碑
佐野王子跡の北側に、尼将軍(北条政子)の供養碑が建っています。この碑は室町時代のものです。
尼将軍の供養碑のすぐ南に、佐野王子社の跡があります。近世は、那智大社の末社で、境内の森は周囲約400mもあり、「若一王子の森」と呼ばれていました。
大雲取越(胴切坂)【世界遺産 熊野参詣道中辺路】
那智と本宮を結ぶ厳しい山中ルートが大雲取越・小雲取越です。大雲取越は、那智から標高840mの越前峠を越え、胴切坂という急坂を下り、小口の集落に至ります。熊野参詣道の中でも「西国一の難所」と呼ばれるところですが、あちこちに石畳や石段、茶屋跡、石仏が残されており、往時の姿をしのぶことができます。
大雲取越(楠の久保旅籠跡)【世界遺産 熊野参詣道中辺路】
昔は、この雲取越の道を熊野詣の人々や三十三か所巡礼が列をなして通りました。
楠の久保旅籠跡には十数件の旅籠があったと言われ、北に見える小雲取越の桜茶屋を指差して、あそこまで宿がないからここに泊まるよう客引をしたと伝えられています。
わろうだとは昔の円形の座布団のことで、大石の上でこの座布団を敷き熊野の神々が座って談笑したり、お茶を飲んだと言われています。大石には、梵字三字(阿弥陀仏・薬師仏・観音仏の意味)が彫られ、この辺りは神の御茶屋所と言われてきました。
小雲取越(桜茶屋跡)【世界遺産 熊野参詣道中辺路】
茶屋跡付近や、峰沿いの道は山桜が多く見られる植生だったので、この名がつけられたのでしょう。小和瀬から桜茶屋跡までの登り坂は、小雲取越の中でも一番の難所だと言えます。
小雲取越(賽の河原地蔵)【世界遺産 熊野参詣道中辺路】
過酷な熊野詣の途中、志半ばで力尽き、倒れた人々の霊を供養したところだと伝えられています。
万歳道(ばんぜみち)【世界遺産 熊野参詣道伊勢路】
伊勢路は、伊勢神宮と熊野三山を結ぶ道で、熊野市の「花の窟」から海岸沿いを熊野速玉大社へ向かう「七里御浜道」と内陸を熊野本宮大社へ向かう「本宮道」があります。新宮市には、旧紀和町の楊枝から熊野川を渡って熊野川町志古に至り、万歳峠を越えて小雲取越へつながる「本宮道」が通っています。
大峯奥駈道【世界遺産 大峯奥駈道】
霊場「吉野・大峯」と「熊野三山」を南北に結ぶ修験者の修行の道です。吉野山から熊野本宮大社まで約80Kmの道のりには1,000メートルを超える山々が連なり、随所に行場が設けられています。
熊野よいとこ
紀伊半島の南部は、古くから「熊野」と呼ばれて、都から見て端っこながら、清らかな所として多くの人々に敬われてきました。
ここ熊野地域に祀られてきたのが、後に熊野三山と呼ばれる「本宮」「新宮」「那智」の3つの神社です。本宮大社(本宮町)は、元は熊野川の中洲にありました。速玉大社(新宮市)は、熊野川の河口近くにあります。那智大社(那智勝浦町)は、那智の滝を神として祀ってきました。熊野三山は、豊かな自然に支えられた、日本有数の多雨地域ですので、川と水の勢いを神として畏れ、敬い祀ったのがはじめでしょう。
今から1000年くらい前になると、熊野は、神や仏の居るありがたい理想の世界と考えられるようになります。そのため、天皇を退いた上皇や貴族をはじめ庶民も、“この世の幸せ”と“あの世の救い”を求めてお参りするようになり、後に「蟻の熊野詣」とまでいわれたのです。
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